はじめまして。
福井県を拠点に、WEBライター・コピーライターとして活動しております、佐々木絵美と申します。
この度は数あるWEBサイトの中、当サイトにお越しいただきありがとうございます。
これからこのページでは、私の簡単なプロフィールと共に、「WEBの情報発信が与える光の影響・闇の影響」についてお話ししていきたいと思います。
もしもあなたが、
- 自分の発信した情報をもっと世の中に広めたい
- ブログやホームページ・SNSなどから集客や売上げアップにつなげたい
- WEBでの情報発信に興味がある
という考えをお持ちでしたら、きっと参考になる部分はあると思います。
ネタを拾う感覚で、この先を読み進めていってくださると幸いです。
なぜ子供たちは「インターネットは危険」と教わるのか?
私たちの情報取得ツールとして、なくてはならない存在になったインターネット。
スマホをタップすれば情報が出ることは、もはや、蛇口をひねれば水が出るのと同じく「当たり前」の感覚です。
ですが未だに、学校教育の場では子供たちに対して「インターネットは危険が潜んでいるから使い方に注意しよう」と言われ続けています。
※私の子供(小学生)も、学校からインターネットの使い方ルールのプリントをもらってきます。
これは一体なぜでしょう?
「はて、ホームページやブログ・SNSで情報発信することと何の関係が??」
と思われるかもしれませんが、実はめちゃくちゃ関係があることなので、ぜひ少し考えてみてほしいのです。
情報に込める「思惑」は、時に人をマリオネットにし、オリに閉じ込めることもできる
FacebookやTwitterに日々のできごとを投稿する。
ブログやホームページでビジネスの情報を発信する。
YouTubeやInstagramでライフスタイルを見せる。
情報をWEBに乗せて外に発信するという行動の裏側には、必ず「発信者の意思」が隠れています。
例えば、「集客したい」とか「ファンになってもらいたい」とか「共感できる人たちと一緒に楽しみたい」とかですね。
「この情報を発信することで、こうなったらいいなぁ・・・」という思惑みたいなものが、文字や言い回し、画像などの視覚的表現に”乗る”わけです。
そんな情報に込められた思惑というものは、キャッチした人に影響を及ぼします。
大きく分けて「光の影響」と「闇の影響」があると私は思っています。
「闇の影響」の方が分かりやすい例がたくさんあるので、先に説明しますね。
例えば、ビジネス系の発信で「締め切りまであと〇〇時間〇〇秒!!」と、やたら期限をアピールして煽ってきたり、
「1日たった15分〇〇するだけで、〇〇なあなたに大変身する!」と、ほとんど努力せずに大成功が掴めるイメージを露骨に匂わせるようなものってありますよね。
もっと身近な例で言うと、Facebookで毎回ゴージャスな暮らしっぷりを見せたり、Twitterにバイト中のおふざけ動画をアップしたり・・・というものもあります。
こういったタイプの発信に込められている思惑は、多くの場合「エゴイズム」です。
「人を自分の思い通りに操作したい」
「自分に人の目を向けさせたい」
「すごい人だと思わせたい」
「うらやましがらせたい、憧れを抱かせたい」
こんな風に、”自分が得したり気持ちよくなったりするのが第一優先”という思惑が乗った情報が人に届くと、どんな影響を及ぼすでしょうか?
きっとそれを見た人は、違和感や不快感を感じたり、劣等感を刺激されて怒ったり落ち込んだり、不安や焦りで衝動的な行動をしてしまったりするのではないかと思います。
これが「情報が持つ闇の影響」です。
インターネットは情報の拡散装置みたいなものなので、情報に乗った思惑も一気に多くの人に届きます。
エゴイズムがたっぷり乗った情報が多くの人に届けば、それに影響されておかしな行動を取ってしまう人も増えることでしょう。
情報発信者の意のままに操られてしまう人。
他人との比較で「自分なんて・・・」とセルフイメージを下げてしまう人。
情報に込められた思惑の影響により、時として人はマリオネットになりますし、「お前はこんな人間だ」という特定の価値観のオリに閉じ込められたりしてしまうのです。
日本人は、”言葉には意味(の通りに動かす力)が宿る”と無意識的に感じて生きている人が多いです。
(じゃなかったら、子供の命名であんなに頭を悩ませないですし、元号が変わることであんなに盛り上がらないはずです)
きっと、情報の裏側に隠れた意味や意思についても、敏感に察知する人が多いのではないかと思います。
「情報が持つ影響が大きく働く」という前提の中で生きているので、その増幅装置であるインターネットが、危険に感じられているのではないでしょうか。
「女は結婚したら家庭に入るのだから、学がなくても問題ない」
ここからは、私がどうしてWEBライター・コピーライターを生業にしているのか?簡単なプロフィールにお付き合いください。
私は昭和58年生まれのアラフォー世代なのですが、子供の頃から「情報(特定の価値観)のオリ」と戦い続ける人生を送ってきました。
私の周りの大人たちは、私が子供の頃に、よくこんな話をしました。
「女は結婚したら家庭に入るのだから、出世しなくてもいいし、勉強ができなくても問題ない」
「最低でも短大卒ぐらいの学歴がないと、いい就職先が見つからない(←勉強できなくてもいいんじゃなかったのか・・・!?)」
「公務員か電力会社の社員になったら一生安泰」
「地元で就職するのが一番金がかからなくていい」
それらひとつひとつは何気なく放たれた言葉でしたが、私にとっては、何重もの枠にはめられ、その枠の範囲内でしか動くことが許されないような感覚でした。
本当に、それしか生きる道はないのだろうか?
大人たちが言う枠の外は崖になっていて、はみ出したら落ちて死ぬのだろうか?
大人たちの言うとおりに進んだら、きっと喜んでくれるのだろうけど、それは真に自分の人生を歩んでいると言えるのだろうか?
10代の頃から、人知れず思い悩んでいました。
そして、そのモヤモヤはいつしか「外の世界を見たい」という意思に変わり、大人たちに与えられた「情報(特定の価値観)のオリ」の突破を試みてきました。
例えば、「女は勉強ができなくても問題ない」という価値観を与えられたなら、鬼のように勉強し、中学時代は学年トップクラスの成績を維持しました。
「それなりの学歴がないと、まともな働き方ができない」という価値観を与えられたなら、通っていた高専(5年制の専門学校で、卒業すると短大卒の学歴となります)を中退。
当時のバイト先の飲食店にそのまま雇ってもらい、鬼のように働き、接客コンテストで全国大会に出て、やがて上から数えた方が早い役職になりました。
「地元就職が一番」と言われたなら、上記の飲食店を辞めて上京。東京の呉服販売店に勤め、鬼のように働き、やがて年間の販売額ランキング1位になりました。
こんな風に、周りの大人たちから与えられた「情報(特定の価値観)のオリ」から、ひたすら脱出し続けるようなかたちで、人生を進めてきました。
大人からしてみれば、毎度突拍子もない行動に出る私は、さぞ冷や汗モノの存在だったでしょう。
ですが私にとって、自分の知りうる世界を広げること、新たな人との出会い、新たなものごとに対する学びを得ることは、「真に自分の人生を歩んでいる」と誇りを持てることなのでした。
スターターピストルが、ある日突然鳴る
20代後半に入り、私にも家庭ができていました。
2人の子供に恵まれて、家事育児に奮闘する日々。
今日の夕飯は何にしようか?買い物に行かなくちゃ。その前に掃除と洗濯をしてから・・・。
10代の頃のがむしゃらなエネルギーはなりを潜め、専業主婦としてのんびりとした生活を送っていました。
ですがある時、事態は急展開します。
降って湧いたようなお金のトラブルに巻き込まれ、夫婦仲に亀裂が入りました。
そして離婚することになり、私は子供2人を育てるシングルマザーとなったのです。
「女は結婚したら家庭に入るのだから・・・」
いつの間にか自分が、小さい頃に与えられた「情報(特定の価値観)のオリ」に閉じこもり、甘えきった生き方をしていたことに気付きました。
「目を覚ませ」と、まるで天から告げられているようにすら感じました。
専業主婦のまま離婚しましたから、経済力はゼロです。
自分で言うのも何ですが、絶体絶命のピンチ!不安と恐怖でまともに眠れない日々を何日も過ごしました。
ですが同時に、自分の内側から闘志のようなものが湧き上がっていることに気付きました。
「シングルマザー世帯=劣」という見解(情報)が一般的なら、その枠を超えるような生き方をする!!
私の中で決意が固まり、これからリスタートだ!というタイミングで出会ったのが「WEBライター」という道だったのです。
情報に込める「想い」は、人に光をもたらす
「WEBライター」の定義は人によってさまざまですが、私の中では「インターネットを使って主に文字情報を発信する人」のことを指しています。
例えば、発信した情報の中に広告を設置すれば収益化できますし、自前のサービスを紹介して購入の窓口にすることもできます。
こんな風に、インターネットの仕組みに沿って情報を乗せ、多くの人に届けることがWEBライターの役目です。
私はもともと本や漫画など、文章を読むことが好きでした。
そして、学校中退や上京するときの決意表明を手紙にして両親に送ったり、呉服店勤務時代にはお客様と手紙のやりとりをしたりと、「誰かに対して文章を書く」ということも何度か経験してきました。
そんなこんなで、WEBの知識はサッパリでしたが”文章”に親和性を感じた私は、WEBライターの勉強と実践を始めることにしました。
最初の1年くらいは、正直かなりしんどかったです。
単なる日記みたいな文章じゃ、独りよがりで受け入れられない。
かといって、面白い文章を書く人のテイストを真似しても、二番煎じになってしまう。
そもそも、WEBのアルゴリズムに沿っていなければ、良い文章が書けても広まらない。
求められている情報×WEBのアルゴリズム×届けたいメッセージ=情報拡散
この公式にたどり着くまでに、身なりも気にせずパソコンに向かい、タイピングし続ける日々が続きました。
やがて、私が発信した情報にフィードバックが来るようになりました。
友人も感想をくれたりして励みになったのですが、驚いたのは「面識のない方からもフィードバックが来た」ということです。
「面白かったです」
「すごく勉強になりました。ありがとうございます」
「考え方が変わって元気になれました」
こんなメッセージをいただくと、私が発信した情報で、世の中の誰かに良い影響を与えられた気がしました。
私はいつもWEBの文章を書く際、「読んだ人が明るくなるイメージ」をしながらタイピングします。
思わずフフって笑ったり、「なるほどなぁ~・・・」と学びになったり、「そういう価値観もあったか!」と発見につながったり、とにかく読んだ人に何か良い変化が起きればいいなぁと思い、書いています。
それは、過去に手紙を書いて想いを伝えていたときの名残です。
まさかそんな気持ちまでもが、WEBを通じて伝わるとは思ってもみませんでした。
ですが実際に伝わる経験をして、こう感じたのです。
受け手にとって、新しい学びや発想の転換、喜びや感動、勇気づけになるような情報がWEBで世の中を巡ったら、いろんな人が生きやすくなるだろうな・・・。
そんな情報をもっと発信できたら、きっと世の中明るくなるだろうな・・・!と。
「情報が持つ光の影響」を感じた瞬間でした。
術にハマって光を見失いかける
それからというもの私は、もっと文章表現を磨くべく「コピーライティング」を学び始めました。
コピーライティングとは「人が行動を起こすきっかけになる言葉を生み出すこと」で、広告などに多用されている技術です。
人の心理と密接にかかわってくる文章表現なので、実践を重ねていくと、だんだん人を意図した方向に導くことができるようになってきます。
ちょうどこの頃、ご縁あって企業さまのWEBマーケティングに携わるようになり、「結果(集客や売上げ)につながるライティング」に注力するようになりました。
そこで私は、さらにコピーライティングの技術にのめり込むようになります。
いつしか私は、「読んだ人が明るくなるイメージ」よりも、「どうしたら人を動かせるだろうか?」ばかりを考えるようになっていました。
コピーライティングの術を駆使することばかりに気を取られ、情報には想いが含まれることを忘れかけていたのです。
これまでの人生で、ことあるごとに苦しんできた「情報(特定の価値観)のオリ」を、今度は自分が言葉で作って人に与え、操作しようとしていました。
「見せかけのつながり」と「深いつながり」
術に溺れ、光を見失いかけていた私を呼び戻してくれたのは、WEBマーケティングで関わっていた企業の社長さん方でした。
『この家に住んでいて良かった・・・と思いながら、生涯の最後を迎えさせてあげたい』と語り、高齢者の住宅をすみずみまでチェックするリフォーム会社の社長さん。
『生きる基本となる”食”を安全で豊かに、そして家族で囲んで楽しんでもらいたい』と語り、無添加の調味料を手作りし続ける食品メーカーの社長さん。
『プロダクトを売りつけて終わりではなく、それを使って業績を上げるところも併走し、日本企業全体の底力を上げていきたい』と語る、ITコンサルタント会社の社長さん。
それぞれが語る言葉の奥には「人のために」という想いがありました。
その想いには、これまで歩んできた道のりや乗り越えた苦難などが全て包括されており、まばゆく、美しく、胸の深い部分に響く感覚を覚えたのです。
私は思いました。
「人同士が、心の深い部分でつながれるような文章を書こう」と。
「私がやるべきなのは、人同士の絆が自然と深まるような、”想い”が主役のライティングなのだ」と。
スキルや実績、知名度や収入など、ステータスだけをぶら下げて人を動かすということは、その人を情報で操作したり、特定の価値観に縛り付けることを意味します。
それは多くの場合「強引に作った見せかけのつながり」で、ステータスが色褪せたら消えていくことでしょう。
後に残るのは、不安や焦り、劣等感や虚無感など、「情報の闇の影響」そのものです。
肝心なのは「バランス」です。
人との絆が自然に深まるような”想い”を主軸としながらも、これまでやってきたこと(経験や実績・スキル)も人生記録の一部として表現する。
これで初めて「情報を発信した人」が立体的に見えるようになり、WEB越しでも人となりが伝わり、新たな人や世界との深いつながりが生まれていくのです。
これまでことあるごとに、「情報(特定の価値観)のオリ」に敏感になり、違和感を抱いた人生。
そこから抜け出して、さまざまな人との出会いや価値観に触れた体験。
”想い”を伝える手段として、手紙(文章)を書いたこと。
人生の転機で「WEBライター」という道に出会ったこと。
「誰かのために」と綴った情報は、顔を合わせないWEBでも相手を明るくするという気付き。
術だけを追い求めた時期があったからこそ、「情報の持つ光の影響・闇の影響」が理解できたこと。
私がこれまで積んできた経験は、「言葉を通して人同士の温かいつながりを作り、世の中を明るくする」という役目のためにあるのではないかと思っています。
オフラインの温かみをオンラインで広げ、新たな世界とつながる
このサイトでは、WEBのアルゴリズムやテクニックについても情報発信していきますが、大切にしているのは「画面の向こう側にいる人を”想い、心からつながる”ための発信」です。
想いをしたためた手紙を手書きで書いて渡すように、隣に座って談笑するように。
まるで直接温かみのあるコミュニケーションを取っているかのような発信を、オンライン(WEB)の拡散力で世の中に巡らせることを理想としています。
そんな発信をするにはどうすればいいか?に重きを置いて、コンテンツを公開していこうと思っています。
もしもあなたが、私の想いに共感してくださるのであれば、本当に人のためになる情報が世の中を巡り、人の感覚が豊かになり、情報発信者と受け取る側の信頼関係が生まれ、経済も回る世の中を一緒に作っていけたら嬉しいです。
オフラインでは情報の広がりにある程度の限界がありますが、オンライン(WEB)ならば県境、国境を越えます。
あなたの持っている信念、理念、商品やサービスに込めた人への”想い”をオンライン(WEB)に乗せ、必要としている人に届け、世の中を豊かにしていきましょう。
そのために、当サイトの内容や私の企画・サービスがお役に立てれば幸いです。